竹島と大名筍

IMG_9558

竹と人が共生し歴史を築いてきた竹島

竹島は、その名の通り島全体を大名竹が覆った島です。

竹はひとつの株から派生して、全ての根は繋がっているという話もあることを考えると、島全体がまるで1つの生命体のようにも思えてくる場所。

竹島の人々の生活は、常に竹と共にありました。

アクがないのが一級の大名筍

竹島では、季節になると島全域で筍が収穫できます。

同一種であれば、味は同じなのではないかと考えてしまいますが、地元の方に言わせると、赤土で育つのか、黒土で育つのか、西側で育つのか、東側で育つのかで、味が異なるのだと言います。
西側で収穫できるものは特に美味しいのだとか。

一番美味しい食べ方は、旬の時期しか食べられない生食です。

竹島の大名筍はアクがないため、苦味がないというのが最大の特徴となっています。

干し筍など、失われた食べ方も

冷蔵庫がなかった時代、人々は大名筍を保存食にもしていました。

塩漬けにしたり、天日干しにして干し筍にしたり。

干し筍の存在を知る人も、今では村でも数人になってしまいましたが、「確か美味しかった記憶がある」といいます。

竹島の生活と産業としての筍

IMG_7984
竹島の人々と竹の関係性は時代と共に変化してきました。

竹島の産業として、最初に大きく発展したのは建築材料としての竹の加工です。

成長した竹を島内で割り、土塀などの芯にする目的で島外に輸出し、大きな産業となっていました。

時代が進むと、徐々に竹の需要がなくなり、島の産業も合わせて変化していくことになります。

次に、筍を産業にする時代がきます。

道路を整備し、一家族が総出で筍狩りを行い、500キログラムから1トンを収穫するときもあったのだといいます。

その後、現在では竹島お馴染みの風景ともなっているように牛が放牧されたり、徐々に筍に従事する人数も減ってきた結果、竹林が荒れ、十分な管理ができなくなってきました。

産業としても低迷してきているといいます。

一番の課題は、筍産業を持続可能な産業にすること

竹と共に生きてきた竹島の課題は、現在筍産業に従事する人数の減少により、産業として回らなくなっていることです。

「筍はある、しかし採る人がいない」

こんな未来が来るのではないかと、危機感が募っています。

現在従事する方々の平均年令は60代。

IMG_8048
筍で食べていけるように、持続できる産業にするにはどうすればよいのか。

竹林の整備や、そのための技術を誰にどう引き継ぐのか。

5月から6月という限られた旬の筍を産業にして、どのようにしてその仕事で食べられる人を増やすのか。

このような課題に直面しています。

しかし光も少しずつ見え始めてきています。

収穫の時期に手伝いに来る島外の方々や、大名筍の魅力に気付く人々も増えてきました。

人と竹が共生してきた竹島は、次の共生のかたちを探しているところです。