竹島と大名筍

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竹と人が共生し歴史を築いてきた竹島

竹島は、その名の通り島全体を大名竹が覆った島です。

竹はひとつの株から派生して、全ての根は繋がっているという話もあることを考えると、島全体がまるで1つの生命体のようにも思えてくる場所。

竹島の人々の生活は、常に竹と共にありました。

竹島では、季節になると島全域で筍が収穫できます。

同一種であれば、味は同じなのではないかと考えてしまいますが、地元の方に言わせると、赤土で育つのか、黒土で育つのか、西側で育つのか、東側で育つのかで、味が異なるのだと言います。
西側で収穫できるものは特に美味しいのだとか。

一番美味しい食べ方は、皮つきをそのまま直火で蒸し焼きに。

竹島の筍は 、三つの島の中でもサイズが大きく、食べごたえがありみずみずしい です。

干し筍など、失われた食べ方も

冷蔵庫がなかった時代、人々は大名筍を保存食にもしていました。

塩漬けにしたり、天日干しにして干し筍にしたり。

干し筍の存在を知る人も、今では村でも数人になってしまいましたが、「確か美味しかった記憶がある」といいます。

竹島の生活と産業としての筍

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竹島の人々と竹の関係性は時代と共に変化してきました。

竹島の産業として、最初に大きく発展したのは建築材料としての竹の加工です。

成長した竹を島内で割り、土塀などの芯にする目的で島外に輸出し、大きな産業となっていました。

時代が進むと、徐々に竹の需要がなくなり、島の産業も合わせて変化していくことになります。

次に、筍を産業にする時代がきます。

道路を整備し、一家族が総出で筍狩りを行い、500キログラムから1トンを収穫するときもあったのだといいます。

その後、徐々に筍に従事する人数も減ってきた結果、竹林が荒れ、十分な管理ができなくなってきました。

産業としても低迷してきているといいます。

一番の課題は、筍産業を持続可能な産業にすること

竹と共に生きてきた竹島の課題は、現在筍産業に従事する人数の減少により、産業として回らなくなっていることです。

「筍はある、しかし採る人がいない」

こんな未来が来るのではないかと、危機感が募っています。

現在従事する方々の平均年令は60代。

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筍で食べていけるように、持続できる産業にするにはどうすればよいのか。

竹林の整備や、そのための技術を誰にどう引き継ぐのか。

5月から6月という限られた旬の筍を産業にして、どのようにしてその仕事で食べられる人を増やすのか。

このような課題に直面しています。

しかし光も少しずつ見え始めてきています。

収穫の時期に手伝いに来る島外の方々や、大名筍の魅力に気付く人々も増えてきました。

人と竹が共生してきた竹島は、次の共生のかたちを探しているところです。

三島村産の大名筍

このページは三島村の大名筍を紹介するページです。
三島村を構成する竹島、硫黄島、黒島ではそれぞれ「大名筍(だいみょうたけのこ)」という筍が収穫できます。
大名筍は「筍の王様」とも呼ばれており、アクが少なく濃厚な味と歯ごたえが特徴です。

三島村産の大名筍が購入できるショップ・ふるさと納税

出荷時期:毎年5月中旬から順次

大名筍とご一緒に。三島村産芋焼酎

公設公営「みしま焼酎 無垢の蔵」で醸造された本格焼酎「焼酎みしま村」「焼酎メンドン」。三島村産サツマイモ「ベニオトメ」の甘い香りと、黒島の美味しい水を使った無垢の味わいが堪能できます。大名筍のお供にいかがでしょうか?

このWebサイトに関するお問い合わせ先

  • 鹿児島県三島村役場
  • 住所:鹿児島市鹿児島県名山町12番18号
  • 電話:099-222-3141
  • FAX:099-223-1832
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